「23分間の奇跡」を久しぶりに読み返したら、まったく感動できないんですが
昔、若かりしころに読んで感銘を受けた本。
ところが、いい大人になって読みかえすと、あれ、こんなもんだったっけ?
昔はもっと感動したはずだけど。
こんなふうに思うこと、ありません?
つい先日、書店で見つけた本なんですけど、
23分間の奇跡 / ジェームズ・クラベル著
これ、大昔に読んだことがあって、懐かしくてつい買ってしまったんですよねー。
もういちど、あの感動を!
なんて期待しつつ、いざ読みはじめたのですが、
ふーん。
ふーん。
それで?
こうなるの、わかってました。
わかってたんですけど、
でも、どこかでまだ自分の感受性に期待していたところもあったんです。
自分にも、まだ若い感性が残ってるんだって、そう信じたかった。
・・甘かったです。
悲しい話を読んで悲しくなったり、SF小説を読んでわくわくしたり(かなり薄くなりましたが)、それはまだ出来るようです。
でも、10代、20代の頃のように、小説を読んで心が震える。そんな体験はもう出来ないのでしょうか?
年をとると感性は衰えます。
そんなこと学校で教わってませんが?
パールバックの大地、筒井康隆の夢の木坂分岐点、ヘッセの車輪の下。銀河鉄道の夜。
もしかして、こうした小説も、このあとの人生、感動できないんでしょうか?
60歳超えたら感性復活!
とかないんですかね。
とはいえ、23分間の奇跡は、10代の若者に、ぜひとも読んでほしいです。
いちばん苦いお茶は?
ストレスがたまってると、苦い味が欲しくなるそうです。
僕はコーヒーでもお茶でも、苦いのが好きなので、そういうことなんですかね?
むかし、香港でお茶屋さんに行ったことがあって、「とにかく、この店でいちばん苦いお茶をください」といったら、店のお姉さんが怪訝な顔しながらも、お茶をひとつ選んでくれました。
試しに一口、飲ませてもらったけど、
・・・ちっとも苦くないんです、これが。
苦いお茶っていうのは、まだまだ市民権ないんでしょうか?
たしかに日本で売られてるペットボトルのお茶にしても、「茶葉の甘み」を売りにしていたりして、茶葉の甘みを感じるお茶は人気があるみたいですね。
でも僕は、苦いお茶を飲みたいのです。
日本でいちばん苦いお茶って何なんですかね? ぜひ知りたいです。
メーカーさん、できれば、舌がしびれるくらいの、苦味でストレス吹っ飛ぶくらいの苦い苦いお茶を、ぜひともお願いします。
今週のお題「好きなお茶」
人生の選択肢
ランニングは好きですか?
私が思うに、ランニングは控えめに言って最高の運動です。
しかし、せっかく始めても、しばらくして、やめてしまう人も多いです。
ランニングの効用は、多くの書籍で紹介されています。
ストレス解消、体力増強、ダイエット、脳機能向上などなど、どれを読んでもいいことばかりです。
多くの人も、そうした動機で走り始めるのだと思います。
私自身、中学は陸上部だったものの、その後運動から遠ざかり、健康に気を使いだした30歳からランニングをはじめ、40歳で初のフルマラソンを完走しました。3時間50分でした。
ランニングの効用はすぐに現れました。
まず体力で、会社の同僚を無双できます。深夜残業、休日出勤、上等です。
長期の海外出張だって、時差ぼけ関係なくなります。
健康診断、オールAです。
こんなに良いことづくしのランニングなのに、続かずやめてしまう人もいて、残念です。
なぜ続かないのでしょうか?
私が思うに、やめてしまう人に共通する理由があります。それはー
毎日走ってしまう
ランニングを始めた当初、毎日のようにガンガン走る人がいます。ところが 、そういった人は、まず間違いなく足や腰を痛めます。そして走れなくなり、せっかく築いた「走る習慣」もなくしてしまうのです。
ランニングを始めれば、足の筋力よりも、心肺が先に発達するといわれてます。
心肺があがると、スピードを上げたり、距離を走ったりしても呼吸は乱れず、走ってて楽しくなります。
ところが自分では楽に走れてるつもりでも、足腰の筋力が追いついてないので、やがて悲鳴をあげます。これが故障の原因です。
私がフルマラソンに出る前の1年間は、毎月80-90キロを走ってましたが、心がけていたのは、
3日連続で走らない。
タイムで4時間をきることをサブフォーといいますが、これを目指すには月間80キロでは少ないと言われました。しかし、もう若くない自分の足への負担を考え、2日連続で走ったら、1日は必ず休むことを徹底してました。走りたくても我慢なのです。
少なくとも 足腰ができるまで、毎日のランニングは控えましょう。
靴が適当
スポーツ店へランニングシューズを買いにいき、店員さんに「ランニングを始めた」というと、まず間違いなく、底にぶ厚いクッションのついた、ふわふわシューズを勧められます。
足に負担をかけないように、という理由からなのでしょうが、これはこれで間違ってはいないのでしょうが、誰にでも合うわけではありません。
私自身、体重が軽いこともあり、あまりに柔らかい靴を履くと、クッションがじゅうぶんに沈み込まず、逆に不安定になって足首を痛めてしまいます。
私は少し固めの靴を選ぶことで、足の故障から開放されました。筋力もなく、体重も軽い人には、そういった選択肢も考慮にいれてみてください。
レースに出ない
レースに出ましょう。遅くても問題ありません。たいていのレースには歩く人がいます。ビリにはなりません。たぶん。フルマラソンがきついなら、10キロからはじめましょう。タイムを縮める、順位をあげる。こうした目標は大切です。
なにより、大人になって、子供のころの運動会気分を味わえるのです。
秋晴れの日曜日。陸上競技場。見ず知らずの他人、ゼッケン、スタートライン、かすかな緊張、静寂、ピストル。
非日常、がそこにあります。
さいごに。
脳が若返り、ストレスが消え、体力もつく。ランニングは最高ですが、デメリットもあります。経験上、顔は老ける気がします。
しかし遅かれ早かれ、人間はいずれ老けるのです。無問題です。
どっち取ります?
今週のお題「好きなスポーツ」
海は塩水です。
海って本当に塩水なの?
そんな疑問から、海水をテーマに自由研究を始めたことがあります。小学3年生の夏でした。海水を研究といっても、汲んできた海水から塩を取り出す、ただそれだけです。
そもそも私は、夏休みの課題に本気を出すなんてタイプではありませんでした。
他に自由工作なんていう課題もあったのですが、まったくやる気が起きず、最後まで放置してました。
そして夏休み最終日、そのへんにあった厚紙で紙ヒコーキを折って、それを40日もあった夏休みの集大成でござい、といった顔で先生に提出したことも、今ではいい思い出です。
そんな私ですが、その年に限って、どういうわけか、研究テーマが突然舞い降りてきたのです。しかも夏休みの最初に。
海水から塩をとってみよう!
俺、天才かも。私はやる気に溢れ、その夏は、両親の帰省時に海へ行き、海水を持って帰ってくることにしました。
当日。照りつける太陽、青い海と波の音。
私は両手で空のポリタンクを抱え、海へと向かいました。
ところがそこは思っていたよりもずっと深く、すぐに足が着かなくなることを察した私は、怖気づいて先に進めませんでした。
当時、泳ぎは得意ではなかったのです。
いいや、波打ち際で海水を汲もう。
そんな私を見かねて、父親がポリタンクを持ち、ぐいぐい沖へと泳いでいくではありませんか(当時は父親も若かった。40歳くらい?)。
波打ち際ではなく、沖に向かったのは、そのほうが海水の塩分が濃いのでは?という父親の考えだったみたいです。
なにはともあれ、無事に海水を汲み、自宅に戻った私は、さっそく海水を鍋に入れてコンロにかけました。待つこと数時間。
塩だ!
思ったとおり、水分が蒸発し、鍋底には大量の塩が。
それをスプーンでこすると、ちょっとピンク色した天然の塩が、そこにありました。
・・・鍋はダメになりました。
私の研究結果は、2学期が始まってしばらく、教室の後ろに保管され、そのあとどうしたかは憶えてませんが、おそらく捨ててしまったのでしょう。
あれから数十年、海パン一枚、必死に海水を汲んでる父親の姿を思い出すことがあります。あのころは若かったんだなーと。
なお、父は今でも健在です。ねんのため。
今度、当時のことを話してみようと思います。憶えてるかな?
「今週のお題」
さおだけ屋で働いてみた
たけや~さおだけ~、でおなじみ?のさおだけ屋さん。
でも買うのはちょっと怪しい、まして働くなんてなおさら。
そんななか、私、少しだけ働いたことがあります。
かれこれ25年前になりますが、会社を辞め、失業保険も切れかけていた私は、アルバイト雑誌(当時はこれが必需品だった)でたまたま、さおだけ屋のバイトを見つけたのです。
何が魅力かっていえば、日当の日払いです。たしか研修期間の2週間は一日8000円、それが終われば12000円くらいでした。毎日が給料日です。
雑誌に載っていた電話番号に緊張しつつ電話してみると、意外にも普通に若い女の人が電話に出ました。アルバイトの申し込みであることを告げると、これまた、ごくごく普通に面接の案内をしてくれました。
面接当日、履歴書をざっと眺めた中年のおじさんに、「君はいけそうな気がする」と言われ、即日採用されました。なんでも「見た目が怪しいのはダメ」だそうで、幸い私はその点で合格だったようです。さっそく翌日から働くことになりました。
さおだけ屋の朝は早い。朝7時まえには営業所へいき、商売道具の軽トラに竿と物干し台を積みこむ。それが終わると住宅地へ向けて出発する。
8時になれば例のアナウンスを流す。その音量にもコツがあって、四方にうまく音が散る大きさが存在するのです。もう忘れてしまったけれど、車の速度にもマニュアルがありました。
最初の2日は研修期間で、ベテランのおじさんが運転する車に乗せてもらい、売るためのトークを学びます。
3日め、いよいよデビューです。
・・・1本も売れませんでした。
4日め、とある古い集合住宅で、その奇跡は起きたのです。たまたま通りがかった主婦の方に声をかけられ、なんと1本買ってもらえました! しかも2本で1000円の安いやつではなく、1本2500円くらいするステンレス製の竿です。
ちょっと長いって言っていたので、その場で切ってあげました。当たり前だけど、人生初です。
驚いたのはそのあと。わたしもわたしも、って何人も車の周りに人が集まってきて、バザーか?っていうくらい。
信じられます?
午後になって場所を変えても、通りすがりの母娘が勝ってくれたり、お店やってるおじさんが家にあげてくれてコーヒーご馳走になったり。
営業所にもどった私を、たくさんの先輩社員の方が褒めてくれました。
その後、アルバイトはやめてしまったのですが、さおだけ屋さんの車をみるたびに、押すな押すなの人だかりができた日のことを思い出します。
中小企業にありがちなこと
以前に大企業へ行くメリットについて書きましたが、今回は、中小企業を選ぶリスクについて書いてみたいと思います。
僕は現在、いわゆる中小企業に勤めています。社員の数は300人くらいです。
その前は某大手企業にいて、社員は3000人以上でした。
大企業→中小企業ときけば、「あいつ落ちぶれたな」、みたいな印象を与えるかもしれないですね。
中小企業庁によると、日本の会社のうち99%以上が中小企業だそうです。
従業員数では69%になり、大半が中小企業ということになります。
そんなにたくさんの会社があれば、よい会社もあればブラックな会社もあるでしょう。
ここでは、僕が感じた中小企業の印象をあげてみたいと思います。
1 コミュニケーションが難しい
痛切に感じた特徴がこれです。会話が通じないというよりも、話の捉え方、理解の仕方が異なっているため、同じ指示を聞いても異なる理解になることが多いです。
これはひとえに読解力の差だと、僕は思っています。
大企業では似たような学歴の社員が多く、似たような人が多かったです。理解力や語彙も多少の差はあれど、ほぼ似たようなものです。
いっぽう中途入社の多い中小企業では、学歴、職歴はさまざま。前職や前々職で受けた教育の結果、それぞれが異なった価値観をもっています。
その結果、「話が噛み合わない」、「理解が異なっている」、といった問題が発生します。
2 攻撃的な会話が多い
攻撃的な人が多いため、それに立ち向かえるメンタルの持ち主でないと、社内で頭角を現すのは難しいかもしれません。 繊細な方はとくに、このような体質の会社は避けるべきです。
3 仕事の範囲があいまい
それぞれの業務範囲があいまいなため、 普通に丁寧に仕事をお願いしても「丸投げ」と思われて反感を買うことがあります。業務が細分化された大企業では当たり前と思われる業務上の依頼が、中小では「お願い」することになりがちです。
こうした点に注意して自分にあった会社を選んでいけば、小さな会社も悪くありません。
大企業を選ぶべき理由
そろそろ入社式の季節ですね。 入社式といえば就活でしょうか。
私も大昔は人並みに就職活動を行いました。長い就活中はいろいろな意見を耳にして、本当に自分が望む進路を見失いがちになることもありました。だからこそ言います。
行けるなら、大企業を選ぶべきです。
1 社会的な信用
2 厚生年金基金 (三回建て)
3 高い給料 (QOLにつながる)
4 退職金
5 大勢の同期とのつながり(人間関係は宝です)
6 仕事の深さ
7 圧倒的に豊かなQOL
などなど大企業の利点を挙げればきりがありません。
実際、私は新卒で入社した大手企業をやめ、いまは小さな製造業に勤めています。仕事面では満足できる側面もあります。しかし総合的な満足度でみれば、大企業に勤めていた頃には及びません。
「小さな会社のほうが成長できる」
「大企業はどこに配属されるかわからない」
「大企業だって安泰ではない」
「終身雇用は終わった」
世間にはそんな言葉が溢れています。たしかに一理あります。なかにはブラックなひどい大企業もあるかもしれません。でもそれは小さな会社でも同様です。
もし大企業のネームバリューに憧れるミーハーな自分がいるのなら、その気持ちをごまかしては駄目です。
仕事は人生の一部です。どんな人生を送りたいか、よく考えましょう。よほどの意思がないのであれば、そして行ける機会があるのなら、最初は大企業を選んだほうがその後の人生にとって有益だと私は思います。