バブル世代の就職活動 -本当にあった拘束旅行
あなたの周りにバブル入社の方はいますか?
使えないとか、ネットではいろいろ言われてますよね。
私が就職した年はいわゆるバブル期。超売り手市場と呼ばれた時代。
とにかく会社は楽しい
あなたが働かなくても誰かが働く
それが大企業のいいところ
一流企業による、こんな新聞広告を見かけたほど、世の中は浮かれてました。
友人の間でも、会社に入ってキャリアを積み上げよう、社会に貢献しよう、なんて壮大な会話をした記憶はまったく無いですからね。
ちなみに私は体育会でもなければ資格もない、当時としては普通の大学生でした。
なので早慶や旧帝などの高学歴な人たちの就職活動とは、ちょっと違うかもしれませんが、当時どのような就職活動をたどったのか、思い出して書いてみます。
まずは資料請求
大学3年生も終わりが近づいた2月頃、下宿に大量の書籍が届き始めます。
中身は会社紹介の書籍なんですけど、とにかく分厚い。
それが何冊も入った重たいダンボールが、何箱も何箱も部屋に届きます。
冊子の中身は会社のPR文と資料請求用のハガキ。
これに住所や名前を書いて、ポストに投函するのですが、これを多い人は100枚以上も出してました。
私もがんばって書きましたが、すべて手書きだし、しんどいので、そんなに書けなかったですね。
でも、ハガキを出さないと就職活動は始まらないのです。
いざOB訪問へ
しばらく経つと、OBと名乗る男性から電話がかかってきました。
携帯やパソコンの無い時代なので、連絡は自宅の固定電話です。
さっそく会うことになりました。
さて、OBと会うからにはスーツが必要ですよね。
でもお金がない。
結局、親にスーツ代をだしてもらい、ポールスミスで紺のスーツを購入。
8万円払いました。
いざOBと会う段になっても、事前準備や業界研究をすることもなく、親戚のお兄さんに会いにいくような感覚で、普通に会ってお茶してました。
今思えばひどい学生ですが、ちょっと言い訳するなら、当時はネットもなく、業界研究といえば四季報読んだり新聞読んだりするくらい。
非常に限られた情報しかなかったのです。
さらに相手のOBからも、
「ちゃんと遊んでるのか?」
「俺は金曜夜から日曜深夜まで遊び倒してるぞ」
なんて言われるくらい、相手のOBもどっぷりバブル世代でしたから。
そんな調子で多くのOBと会ってもらいましたが、私が一つだけ、必ず聞いてたことがあります。それは、
「先輩が今の会社を受けたとき、どんな志望理由を言ったのですか?」
というものでした。
実際に内定もらえた人の志望理由なので、説得力ありますよね?
そうして集めた志望理由を適当にアレンジして、面接で意気揚々と話してました。
当時としても、とんでもなく薄い志望理由だったと思いますが、それでも「しっかりしてますねー」なんて言ってもらえたのは、怖いものしらずだった若さのせいですかね。
OB訪問はカフェでお茶するか、お昼どきにランチを一緒にすることが多かったです。
ランチはフレンチだったりして、美味しくいただきました。
緊張の面接へ
OB訪問の後の流れとしては、その後まったく連絡がないか、または次のステップへの連絡があるか、です。
連絡が無い場合は、ご縁がなかったということです。
私が最終的に入社した会社では、
- OB訪問
- 面接(2~3回)
- 最終面接
- 内々定の電話
- ボーリング大会(ここで履歴書提出)
- 内定拘束旅行(某所の温泉)
といった感じでしょうか?
会社説明会は結局なかったですね。
拘束旅行は本当にありました。
当日は本社に集合し、そこからバスで国内の某所、温泉旅館に連れていかれました。
内定者100名ほどです。
昼間はそれなりに説明会らしきものがあったものの、夜は宴会。
みんなベロベロです。
恐怖の内定辞退
内定1号は面接に行ったら内定、といった感じでした。
某流通業です。
面接というか、おじ様と軽く話しただけでしたが、2回目は本社に呼ばれて内定を告げられ、そのまま居酒屋に連れて行かれて。
そして食べ放題。
ちなみにその会社、数年後の氷河期に受けた後輩に聞くと、集団討論や筆記試験まであったそうです。あっという間に時代は変わるのですね。
結局、まわりの友人は平均で4~5社の内定はもらえてました。
そうなると困るのが、内定辞退。
みんな面接の練習と思って、行く気もない企業を受けては内定を集める、といった行為を当然のようにしてましたので、内定を辞退するときがやってきます。
メールなんて無い時代、人事に電話するしかありません。
めちゃくちゃ怖かったです。
内定辞退を伝えに行くと頭からコーヒーをかけられた、なんて噂もありましたからね。
5社くらいから内定をもらいましたが、正直、どの会社にも魅力は感じませんでした。
最終的に選んだ理由は、それなりのネームバリューと給料の高さです。
30代で1000万というのが判断基準でした。
あれから年を重ねて
あの当時、そもそもサラリーマンには向いてないなと思ってましたが、世の中の超売り手市場のトレンドに流されて、内定もらえた企業に就職してしまったんですよね。
とにかく自分が何をしたいのか、なんてじっくり考える時間も無いまま、就職活動は終わってしまった印象です。
あのとき、どこにも内定もらえなかったら、どんな選択をしたのかな、なんて思い返すことがあります。
自分の得意なことは何か、どんな人生を送りたいのか、自問自答をもっと重ねておけばよかった。
留学したかったなー。
あの頃のみんな元気かな。